ジレラ dna というバイクを預かっています。
プラスチックが多用してあります。
4サイクル、180ccでエンジンはベスパの刻印があります。
大きな特徴は両手ブレーキのオートマチックのスクーターということです。
形としては小さいビュエールみたいですね。
残念ながらフロントフォークのオイル抜けていて、 スカスカなので、走りに関しては今は何とも言えないです。
前傾姿勢で両手ブレーキというのは慣れませんね。
ガソリン満タンにすると必ず給油口からこぼれます。これ何とかならないかな。
最高速120−30キロぐらいは出そうです。メーター壊れててわかりませんが。
(さすがイタ車?!)
ミキサー復活です。
ガソリンエンジンの調子が今ひとつ。
どうも二次空気吸ってスロットル調整が不安定になる、こうなるとセメントに集中できません。
こういう不具合あると、ストレスになります。
ただでさえセメント作業はイライラしますから。
ですので、さいきんいただいたデーゼル耕耘機を動力にして回す事にしました。
これならヒモ引っぱりでなく、スイッチひとつでエンジンかけられます。
楽チン、やっぱ仕事は工夫が大事よなー。
ちなみにこのミキサー昭和42年製とあります。
セメントに関しては、やすく上げる為に色々試しました。
最初はきちんと砕石、真砂、セメント、1から買いそろえ、言われた通りの配合で混ぜて作っていましたが、思った以上に単価は高くつき、始めから生コンをミキサーで運んでもらった方が安いぞ。ということがわかりました。
次の安い方法は、再生骨材を砕石代わりに使うとかなり真砂とセメントの節約になります。
建築に使うセメントは法律で細かに決められているようで、自分で使う分には、もっと適当でも、
いけるのでないかと言う勝手な思いもあります。
前日に材料買っておいて、12日朝から作業し、夕方までやってたったこれだけです。
まともに15センチぐらいの厚さを作ってしまいました。
厚み15センチ、長さ2.5メートル、幅 1、2メートル
ところてんのお化けみたいなの作るのに、こんな労力かけてどうすんの?
ミキサー16杯分ぐらい。トラックに積んだ骨材3分の2、セメント3袋。使いました。
セメント練りながら、表面仕上げまで全部やるのは、正直しんどい。
しんどさが、仕上がりの善し悪しに直接繋がります。3時間ぐらいで、だんだんどうでもよくなってくる。
この作業当分やりたくない。
やってから気づいた、ここは屋内だから、もっと砕石でかさ上げして、もっと薄くしてもよかったと、あーぁ反省。
ま、丁寧なモノは出来たけれど、、、。
9月後半、2回目、かなり砕石でかさ上げして、コンクリの厚さ5−10センチ。
これでかなり、体が楽になりました。ミキサー6杯分ぐらい。
砕石代わりに使っている、RCと呼んでいる?再生骨材をまた隣町まで買いにいきます。
以前は1つの粒がでかかったけれど、砕く機械を変えたのか、目が細かくなりとても扱いやすい。
今日は「いつも車が小さいから、今日はただでいいです」って言われた。
何回も通うといい事あるね。
奥行きが分りにくい。このへんかのー?
バケット返しながらアームを奥に送るのがちょっとしたコツですな。
「ポン ポン」軽く押して出来上がり。
積み込み一分、このあと下ろすの半日。
機械の便利さよなあ。
このRCという建材は、自分にとってとてもありがたい。
大きくて5センチぐらいの石と、セメント粉のようで、セメント気も抜けてなくて、置いておくだけである程度固くなります。
殆どこれだけでまたコンクリートになるのではないかと思うぐらいのものです。
例えるならホットケーキの生地作るのに、小麦粉からなにから用意するかわりに、最初から作ってある、ホットケーキミックス、
を使う様なモノです。
(RC100%使用、8m、奥行き1、2m、厚さ0.15m のレシピ)
材料 RC, 2トントラック3往復、 1000円、セメント8袋、約4000円
砂少々、0円、、井戸水少々 0円
ミキサーでこねて、ハイ出来上がり。
よく固まってから、召し上がれ。
コストに関しては、満足です。
あとは耐久性だな。
ここで材料切れ!!くやしー!
のべ4日で出来ました。気分でセメントの量変わっていたので、色も4種類になりました。
一旦乾くと、継ぎ目がどうしてもキレイに繋がらなくて、出来れば一気にやりたいけれど、、、。
やっと、やっと、建物に電気が来た!
この小屋今の所、誰にも頼まず一人で作っているので、それなりに自負も出てきてました。が!
唯一、電気を引く作業がずっと課題でした。
それまでも隣にあるガレージに臨時電源ボックを作ってあり、その配電盤の移動だけすれば事足りるのですが、 その為にはメーターの封印フタを開けたり、電柱にPT線?とかいう、空中にはわす為の専用の取り付けをしなくてはならないということは分り、個人でやるのはムリがあるなあと、思いながら延長ケーブルでやっていました。
毎年k西電気保安協会からこの状態では問題なのでなんとかせよと言う、警告を受けておりました。 その間にも小屋は大きくなり、延長コードをたこ足にして、音源、灯り、電気ポット、動力、ギターアンプ、 最初は隣の小屋から一本拝借した延長コードが、垂れ下がらないように気を使っていたものが、地面に落ちてしまい、その上を車が行き来しだして、いいかげんな自分でもこれはさすがにいかんと、いうことになり、近くの電気屋さんに連絡すると、すぐに来てくれ、配電盤移動は2時間で終わりました。
費用1万5千円ぐらい。
思えば、かなり我慢した。
ソケットの3つの穴に優先順位つけて、色々な事に使い回した、(松下さんの二股ソケット当時のように、)これでおしまいです。
(実際は知りませんが)
裏側の出入り口は、大物の搬入路に使う場所で、スロープにしたいのです。 セメント節約と、ゴミ処理の為に、中にはガラを詰めておきます。
9月はセメントの月でした。
去年の今頃、建物半分の基礎部分でしたので、そう思うとこの1年かなり進みましたね。
幸い台風は1つ近海を通過しただけでした。
来月は玄関回りを本格的に着手。
一番の顔である、玄関回りになります。
今月のお客さん、
つかちゃんのVF400F
僕の僕の仲間内では、一台のバイクを乗り続けている最長ライダーです。
新車から乗り続け、約25年、
僕らがバイク乗りかけた頃からこれ一筋です。
当時、CB400Fに乗っていた僕はライトもメーターも丸い形だと信じていたので、この四角いデザインはとても未来で驚きでした。
メーター内の警告灯類が夜の走行時、車みたいでカッコ良かった!
走行14万キロ以上、V4の独特の好みが別れるサウンドですが、、。
当時鈴鹿の4耐などで、CBRやFZなどのの甲高いマルチサウンドに混じって「ブオーッ」って変な?音がしてました。
でも当時は画期的で速いバイクのカテゴリだったんですね。
一般的に不人気でマイナーな80年代のバイク特有の情報不足、パーツ不足で、人気のある70年代のZやCBよりも逆に維持は困難かもしれません、
この個体は日常の足として使われてきています。
このバイク維持するのに複数同型車を所有していて、だいたいの部品はそこから供給されています。
外装部品、エンジン、電装、それぞれ最善の物に入れ替えられています、どこにどの部品を使っているか本人はいつも把握しています。
これからも違うバイクに乗り換える事はないようで、このバイクととオーナーの間に入り込む事はできないですね。
ほんとにスゴい人です。詳しくは本人のHPに詳細があります。